LOOKについての四方山話(了)

1995年以降。元LOOK/L3C/Becauzのメンバーはそれぞれに、ステージに残るひとあり、裏方の道を選んだひとあり。
それぞれの形で音楽の道に携わることになった面々について、わたしが知り得たことについての四方山話。


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チープ広石
1998年にパソコンを購入しインターネットの海に漕ぎ出して以降、数年おきに思い出してはLOOKのことをチラチラッと検索しておりました(LOOKの音楽自体を聴き直すほどではなく、どちらかというと興味本位で)。
チープさんがあの頃と変わらないモヒカン頭で、変わらない「チープ広石」という名前で、ファンキーなサックス吹きとして活動を続けていたことは目にはしていました。


その日も思い出して検索し、久しぶりにチープさんの名前を見たときのこと。
チープさんはもうこの世の方ではなかったのです。
癌のため、2014年3月に52歳の若さでお亡くなりになっていました。


なんてこと………。


晩年(と言いたくないですが)は特に、ラジオDJでレギュラーを持っていた北海道と縁があったようで、北海道の各地を回って演奏活動を行っていたそうです。LOOKが北海道の各地でライブをやっていたことが思い出されます。
LOOKの楽曲のセルフカヴァー作品も出しています。
わたしは未聴です。再びLOOKを聴き始めたばかりで、LOOKをノスタルジアにするにはまだ気分が追いつきませんから…

ルック・フォー・ノスタルジア

ルック・フォー・ノスタルジア

最近、チープさんの生前のブログやTwitterなどを時間のあるときに読み始めました。ライブの終演後など気さくにお話ししてくれそうな気のいいあんちゃんな雰囲気ながら、LOOKやL3Cの歌詞にみられる、あの純な人柄がにじみ出ています。
チープさんにはもう少しはやく、再びステージを通じお目にかかりたかった気がしてなりません。


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山本はるきち
わたしとはるきちさんとの再会は、テレビをつけてたら流れてきて結構おもしろいのでそのまま何気なく見てた、NHK教育テレビのアニメ『おじゃる丸』。エンディングのスタッフクレジットをぼーっと見てたら、『音楽 山本はるきち』って!「えーっ、これってまさか…いやいやいやこんな名前他にないでしょ!」と。
調べたら、特にアニメ界で相当にお仕事をされており、一目置かれる存在であることがわかりました。わたしでもタイトルを聞いたことがある作品の音楽を担当したり、わたしでも名前を知っている人気声優さんとご結婚されていたことも。
のちに離婚されたようですが


LOOKのメンバーの中でいち早く、1991年に裏方の道を選んだはるきちさん。現役時代から裏方志向でしたもんね。
はるきちさんには元々ひとりで完全な楽曲制作ができるという強みがあったので、90年代という時代に、ちょうど自身のやりたいことが合ったのかもしれません。
表舞台から去ってしまったタイミングが早かったのは、ステージでの活躍を見ていた者にとっては寂しく感じる部分もありますが、今でも音楽で生計を立てているご様子が嬉しい。『おじゃる丸』の仕事も現在まで長年続けていらっしゃる。昔からコンピューターに強かったので、割と早い時期からご自身でホームページも運営されているようです。


何より、LOOKで使い始めた「山本はるきち」という芸名を、今でも作家名として使っていることがね!


ちなみにはるきちさんもチープさんと同時期にLOOKのセルフカヴァー作品を発表されています。

ルック・フォー・ノスタルジア/山本はるきち

ルック・フォー・ノスタルジア/山本はるきち

こちらも同じ理由で未聴です。この作品リリースの経緯も未だ調べておりません…もうちょっと落ち着いたら、調べたり聴いたりする気になるかもしれません。


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鈴木トオル
LOOKでは「鈴木とーる」名義で活動していたとーる君は、LOOK脱退後ソロ活動開始と同時に「鈴木トオル」と名前を改めました。
当時のインタビュー等から推測すると、LOOK脱退を待たずにすでに新しい事務所への移籍が決まっていたのではないかと思われます。それを証拠に、脱退してすぐソロのファンクラブができた。そしてLOOKのファンクラブでその入会案内がされていました。懐深い…(笑)


脱退後初のアルバム『砂漠の熱帯魚』は聴いたのですが、残念ながら当時のわたしには響かなかったのか、その後はトオルさんのことを追いかけることはありませんでした。(アルバムも手放してしまった)
その後中森明菜の『スローモーション』のカヴァーをCMで耳にし(1993年)、カヴァー歌手になったのかしら?と思っていました。


トオルさんのことをきちんと調べたのは実は今年に入ってLOOKを熱心に聴き始めてから。現在は全国津々浦々小規模な会場で数多くライブをされているご様子。名古屋にもたびたび来ていて、知ってるライブハウスでも演っている。今のわたしの音楽の聴き方からすると、巡り合うチャンスは充分あったはずなのに、ぜんぜん知らなかったなあ。
あの歌声は今も健在、ライブにはLOOKのサポートギタリストだった江口正祥さんがよくご一緒されているようです。
驚いたのは現在ライブでLOOKの曲をたくさん歌っている、ということです。トオルさんはわたしの中で、オリジナルとカヴァーの活動のイメージで止まっていたので、意外でした。
あ、LOOKを聴き直しているからと言って、今のトオルさんのライブに行ってみたいかと問われれば、もうちょっと時間をください、という感じです今は……


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大和邦久
大和さんについてはBecauz解散後のソロ活動については全く耳に入ってきませんでしたが、現在も時々都内でライブ活動をされているようです。ライブの動画をいくつか見まして、あの歌声が健在であることも確認できました。
MCは相変わらずおもしろそうだし(笑)、万が一上京してるときに日程が合うことがあれば、ライブ、い、行ってみようかな〜〜!
大和さんはトオルさんに比べわたしの中では心的ハードルが低いのである


わたし個人的には、LOOKの再結成はないけど、Becauzの再結成はあるかも…?と思っているのです。大和さん解散の時に「またいずれビコーズやりたいと思ってるし。」「いつか千沢チープともう一度活動できると信じています。いつか、きっと……」って言ってるんですよ。今も自分のライヴでL3CとBecauzの曲たくさん演ってるみたいだし。大和さんお願いだから千沢さんを引っ張り出してください〜〜〜!


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千沢仁
さて最後はこの方。これまでの四方山話を読まれた方は予想がつくと思いますが、他のメンバーに比べ話が長くなります。予告。すみません(笑)


千沢さんは、Becauz解散後は裏方の道を選び、作曲家として活動されました。
最初の楽曲提供は、アニメ『シティーハンター』のエンディングテーマだった鈴木清美『熱くなれたら』と記憶しています。リリースが1989年10月なのでL3C時代ですね。
作曲家としては松田聖子中森明菜、少年隊、V6などに曲を提供。変わったところだとアンパンマンの挿入曲『ぼくはクリームパンダ』!あとははるきちさん同様、アニメや声優関係の仕事も多かったようです。Twitterで千沢さんのことを検索すると、LOOKをお好きだと言ってる方の中に、アニメの曲から入ったのかな?という雰囲気の方が間々見受けられます。
残念ながらそれらの楽曲は、発表当時わたしの耳に届くことはなかったのですが…これから探して聴く旅に出るつもり。


しかし2000年を過ぎた辺りから、千沢さんの活動履歴が調べてもあまり出てこなくなります。提供曲の発表時期をきちんと調べたわけではありませんが、近年の作曲作品はほぼないものと思われます。
2000年前後といえばインターネットが一般的に普及する寸前ぐらいの時期であり、ちょうどその時期を境に表立った活動が減ってしまったため、そのまま詳しく記録に残らなかったのではないでしょうか。WikipediaもLOOK/L3C/Becauzのメンバー中、千沢さんだけ単独項目が存在しません。
わたし書こうかしらと思うくらいw 少なくともBecauzぐらいまでは書けると思うよ
表立った活動が減った理由はわかりません。その後どうされていたかなど、調べれば漏れ伝わってくる話もありましたが、あくまで伝聞でしかないので、ここには書かないでおきます。
今はおそらく、作曲家としての活動も、ピアノを弾いて歌うこともされていないように見受けられます。メンバーの中で、最も巡り会うチャンスがなくなってしまいました(物故者を除き…)。


しかし調べているうちに、千沢さんが現在も音楽活動を続けていることがわかったのです…!
現在はたまにドラムを叩いていらっしゃいます(LOOK結成前のポジションだ)。動画もありましてそれを見たのですが、なんせドラムなので映像を見ても位置的には遠く、もっと顔を見せて〜って感じなんですけど(笑)、雰囲気変わらずな印象です。
ただ、ドラムセットの前にコーラスマイクが立っておらず、やはり歌うつもりはないのかしらねと正直ちょっぴり切ない。


ちなみに、千沢さんはトオルさんに数曲楽曲提供をされています。Becauz時代の93年に提供した曲もありましたし、2007年にリリースした曲もありました(作曲時期は不明ですけど)。
そういえばトオルさんの20周年記念CD(完売)に『シャイニン・オン 君が哀しい』『Hello Hello』のセルフカヴァーが収録されていて、その音源で千沢さんがピアノとヴォーカルを担当されたという話を見かけた気がするのですが、本当でしょうか?それ、死ぬまでに聴きたい…これってもしかして、千沢さんが歌ってる最後の公式音源……??


ここからは余談。


千沢さんはどうしてL3CでもBecauzでも歌わなかったんでしょうね。大和さんをメインヴォーカルに据えるにせよ、歌う機会はいくらでもあったはず。LOOKであんなにたくさん歌っていたことを考えると、何か強い理由やきっかけがあったのかなあ。
機会があったら真相を聞いてみたいものです。一生聞ける機会ないと思うけど(笑)
一度でいいから、千沢さん再び歌ってくれないかなあ。夢は願っていたらいつか叶うものでしょうか神様…。


あと、1枚でいいからソロアルバムを残してほしかった。
なんてことを思っていたら、Becauzのファンクラブ会報最終号(1995年3月)で、千沢さんがこんなことをおっしゃってました。すっかり忘れていたんですけど。


ーでは、これからの展開を教えてください。
「音楽的な仕事をしながらですね、どーんと思いきり作家事務所に入ってしまおうかなと。そうすればいろいろな曲の依頼も来ると思うし、そしたら思う存分、いろんな曲が書けるんじゃないかな。それで、そのうちひょっとした拍子にソロアルバムを出さないかっていう話がもし来たとしたら、出したいな。それはやっぱりもう一つの夢だな。そういう気持ちをどこかにおきながら、作家活動を続けていきたいな。」


千沢さん自身もソロアルバム、夢見てた・・・・・!(泣)


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予想以上に長くなった「LOOKについての四方山話」、メンバーについての現在まで書き終えたところで、そろそろ筆をおきたいと思います。


さて。ここまで書いてきて、結局LOOKのどこが好きだったんだろうと考えてみると。
一番はやはり千沢さんの書くメロディに尽きる。『シャイニン・オン〜』の第一印象にはじまり、そこは最後までゆるぎなかった。かつてLOOKのメンバーが千沢さんの書くメロディに惹かれてバンドに参加したように。
それを証拠に、今でもトオルさんも大和さんも千沢さんのメロディを愛して歌い続けている。チープさんもはるきちさんもLOOK時代を振り返る作品を作っていた。
なので書いているうちにだんだんとLOOKについての、というよりは、千沢仁についての、みたいになってきてしまい、読んでいる方には申し訳なかったです(笑)
加えて、バラエティに富んだ飽きさせない楽曲の数々とか、ライブの圧倒的な演奏力とエンターテインメント性とか、4人のキャラクターがそれぞれにはっきりしていたこととか、ほんと何もかもが新鮮で、愛すべき存在でした。
理由なんて考えれば考えるほどわかんなくなるね。好きになっちゃったものはしょうがないのだ。


一方で、LOOKはもともと仲間同士ではなく、プロデューサーが音楽的志向の異なる他人を引き合わせて結成されたといういきさつがあるので、遅かれ早かれそんなに長く続くバンドではなかったと思います。
とーる君が脱退する頃はメンバーの年齢も30代直前だったので、バンド自体がうまいこと大人の雰囲気にシフトできればよかったのでしょうが(その点最後のアルバム『OVER-LOOK』は結構いいセンいってたと思うんだけど)、すでにLOOK=「愛と夢のファンタジー」「少年性」みたいなイメージが固まってしまっていたのがネックだったのでしょうね。
まあ今になって思えばって話ばかりなのですが。


LOOKは正直言ってそれほど有名ではないので誰しもわかる存在ではないし、これを聴いているとカッコいいという尖った存在でもありませんでした。音楽的には当時の流行りからも外れていたと思います。
それだけに長い間蓋をしてきたのですが、彼らが作り上げてきたものは、紛れもない自分の原点。今の音楽の嗜好も、音楽への向き合い方も、すべて彼らを通じて形成されたのだなあと再認識しています。


何より、こんなに夢中になれるものができることで、人生が彩りあるものに変わる。それを知ることができた。
その後もさまざまに夢中になれるものとの素晴らしい出会いがあり今に至る人生、うん、悪くないものになってると思うな。


Hello Hello もう一度Fall in Love
涙は微笑みに ときめきはそのままに
(了)


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この文章はこのままネットの海に放流しておきます。海原に放つボトルレターのように。
手紙を受け取られ、何かしら感じるところのあった方、どうぞ遠慮なくコメントはいつでもご自由にどうぞ。
わたしもここにたまに立ち寄ります。また何か思いついたら新たな話題を書くかもしれません。
思い出した頃に返事がついているかもしれません。思い出した頃にまた立ち寄ってください。


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Hello Hello!検索からこのページに辿り着いてくださった皆様へ。
80年代後半に活動していたバンド「LOOK(ルック)」について、2016年に回想し、少しながい文章を記しています。
詳しい説明はこちら → 「LOOKについての四方山話」について